コラム

no.050
新卒採用において「学歴」で判断できるもの・できないもの

2018年3月27日 | 取締役 菅桂次郎

3月1日から2019年度の新卒採用活動がはじまった。リクルートスーツを身にまとった大学3年生っぽい集団を見ながら、心の中で声援を送ってみたりする。

昨今、グローバル化の影響もあり、新卒一括採用の慣習にも変化の兆しが見られるが、日本の大手企業の多くにとっては、人材調達における最重要イベントとして、しばらくの間は引き続き運用されていくことになるのだろう。

同時に、新卒採用においては、必ず「学歴」に対する議論が活性化する。以前ほどあからさまにはできなくなったが、旧帝大、国公立、早慶上理ICU、GMARCH、関関同立などなど、偏差値という定量データと同列で、世間一般的に学歴のランクを表現する言葉は存在し、個々人が意識するしないは別として、自分たちに大きな影響を与え続け続けている。

日本の大学は・・・という問題意識は以前に増して聞く頻度が高まった気もするが、改めて新卒採用において「学歴で判断すること」の是非について考えてみたい。

そもそも「学歴」には、どのような価値がある、もしくはあると想定しているのかという点から考えてみたい。

少し前の話になるが、上場企業の役員をやっていた叔父からこんな話をされた記憶がある。

現状の新卒採用を企業側から見ると、良し悪しを置いて論じるとするなら、「確率論」になると。そして、学歴というファクターは、大学在学中に学んだ専門性という応募者個人に帰属する価値だけではなく、3つの要素が付加されることで、「入社後の活躍確率が高まるものと判断できる」ということなのだ。

一つ目は、中高の学生時代に、約100万人の同学年の人間が存在する中で、相対的に多くの努力をしたという経験と、その結果の質が高かったという事実があるということ。

二つ目は、過去から現在において自社内で活躍している人物の学歴が、前掲の社会一般的な指標と相関が高いという実績があるということ。

三つ目は、これからの社会を考えた時に、今後さらに必要となる成長し続ける力・学習し続ける力、要素分解すれば「知的好奇心の高さ」や「経験から学ぶセンス」を保有しているであろうと考えられる人材群という仮説。

理想論では応募者全員と十分な時間をかけて接触する機会を創り、学歴や紙面情報では得られない個性に触れて判断することが重要であり、特に三つ目を何らかの形で検証することが、今後ますます重要になってくるのだと考えられるが、数百、数千、数万の応募者がある中、現実的には、どこかで線引きをする必要が出てくる。

その際の、最も信頼できる指標が、現状では学歴になってしまうということなのだ。客観的に考えれば、まあ当然の帰結とも言えるが。

一方で、2月の某ビジネス雑誌の「社員の賞味期限 ~歳だけ重ね人材~」という衝撃的なタイトルの特集記事を読まれた方もいらっしゃると思うが、その中では「学歴偏重の採用」にも問題提起がなされている。特集記事の詳細はここでは触れないが、まさに、三つ目の要素がポイントになっていると私は解釈した。

また、私個人の考えとして、「美意識の高さ」も今後の重要度に比して、新卒時に判定しづらい要素だと感じている。ある種、その人個人が持つ「生き方の美学」のようなものであり、表現を変えれば、倫理観や誠実性というものが該当する。

昨今の企業や組織の不祥事を見るにつけ、なお一層、この「自己が内面に持つ美学」のような要素が大切なファクターになってくるような気がしている。

いずれにせよ、少なくとも、「学歴」のみでは予測不能な要素が存在し、その重要性が増している中、現状の「採用慣行」を抜本的に変えづらいという前提に立つなら、その「予測不能要素の特定と開発」を入社後に行うことが、今後の組織発展の鍵を握ることになるのだろう。

皆様の組織では、「学歴より大切にしている要素」はお持ちでしょうか。